COMPLEX『COMPLEX BEST』(通常盤)ジャケット写真より

(冬将軍:音楽ライター)

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回は吉川晃司と布袋寅泰によるスーパーユニット「COMPLEX」。2024年5月15日、16日、東京ドームのステージに立つ彼らが音楽シーンにもたらした衝撃とは?(JBpress)

『日本一心』再び

 吉川晃司と布袋寅泰によるスーパーユニット、COMPLEXが再び『日本一心』を掲げて2024年5月15日、16日、東京ドームのステージに立つ。2024年1月1日に起きた能登半島地震に対してのもので、公演の利益すべては被災地の復旧、復興のために寄付される。

 COMPLEXは1988年12月に結成が発表され、1989年4月にデビュー。そして1990年11月、人気絶頂の中、わずか2年弱という短い期間で活動休止した。そして2011年、東日本大震災の復興支援として、同年7月30日、31日に東京ドームにてチャリティーライブを行った。

 21年ぶりのライブは当時のファンはもちろん、活動休止以降にファンになった多くの者を沸かせた。アーティストとしてはもちろんのこと、役者としても大成した吉川と、自らボーカルを取るスタイルでソロアーティストとして大成功を収めた布袋がギタリストに徹するステージは圧巻だった。

「BE MY BABY」のリフレインに合わせてステージの両サイドから登場した2人が、がっちりと握手を交わしたオープニング。そこから布袋が右手を大きくあげイントロのコードを思いっきりかき鳴らした瞬間は多くのロックファンが興奮し、涙した日本のロックシーンに残る名シーンである。1990年11月8日、東京ドームにてラストライブとして開催した『ROMANTIC EXTRA』と同じセットリストをほぼ同じバンドメンバー(ドラマーのみ異なる)で演奏するという粋な計らいもファンを喜ばせた。

「BE MY BABY」from『19901108』

 1990年の活動休止の原因はそれぞれが「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失うことはなかった」と語るほど、方向性の相違によって不仲になってしまったことだ。『ROMANTIC EXTRA』に関しても、ドームでライブをやりたい吉川と最初はそれを拒否した布袋、というほどに2人には温度差がある中で行われたものだった。

 故に2011年『日本一心』の最初の握手は、当時を知っているファンほど涙したものだ。同ライブはアーティストとして大きくなった2人の21年ぶりのライブである同時に、2人のひとつになった気持ちも含め完成度の高いライブであったのである。

時代を変えたスーパーユニット

 先日、Xにて女子高生が「BE MY BABY」のミュージックビデオを真似た動画がバズり、それに対して布袋本人が「可愛いね」とコメントしたことが話題になった。セットなしの真っ白な空間で、吉川と布袋2人だけのアクションのみ、定点カメラ1台のワンカットと思われるあのミュージックビデオの衝撃たるや、バンドマンはもちろん、多くの中高生たちが箒をギターに見立て真似したものだ。あの平成元年のセンセーショナルは令和になっても変わらないのである。

 私がヴィジュアル系シーン史を語るとき、よくCOMPLEXとX JAPANを比較に出す。COMPLEX「BE MY BABY」のリリースが1989年4月8日、X JAPANのアルバム『BLUE BLOOD』のリリースが同月21日と、ほぼ同時にメジャーデビューをしているのである。

 ジャパメタの深化というべき猟奇的なメタルとド派手な出立ちでメジャーに殴り込みをかけたX JAPANと、“都会派”という言葉も持て囃された世にスタイリッシュな装いで新たなロックを切り拓こうとした長身2人組のCOMPLEX。音楽性もビジュアルも正反対ながら、この2グループが音楽シーンに与えた影響は計り知れない。

 1988年5月に日本武道館公演を最後に所属事務所であった渡辺プロダクションから独立することになっていた吉川と、BOØWY解散後にソロデビューを果たしていた布袋は、同年12月10日にCOMPLEXの結成を発表する。布袋のソロデビューアルバム『GUITARHYTHM』のリリースが同年10月5日であり、10月26日に国立代々木競技場第一体育館、11月15日に大阪城ホールにて初のソロコンサートを行っていることを考えると、COMPLEXの結成は急に持ち上がったのだろう。